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カテゴリー別アーカイブ: 研究会の風景

タム研第29回(2012.9.18)

田村です。
この研究会はその回ごとに、硬軟とりまぜ雰囲気がかなり異なります、、、ということが前回と今回を対比して見えてきました。
前回(28回)が痛みをこらえてぐいぐい意識の下を掘り起し、深めていく硬派だったとすれば、29回はその反対に現状に上乗せして(エンパワー)盛り上げていくの感じでした。

前回は、私が不安だったし、参加者の皆さんも不安があったのではと思います。
今回は、その逆に安心感が場に満ちていたと思います。
べつに私が仕組んで、はじめから予定していたわけでもありません。私自身は真っ白な状態で研究会を始め、場の雰囲気で流れができていきます。
良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったり。
どうやって、その回の雰囲気が決まるのか考えてみました。
私の要因と、みんなの要因がシンクロして相互作用の中で決まってくるのかな。
参加したみんなが(研究会に参加している)今、どういう気持ちでいるか、何を求めているか。
私自身が今、どういう気分でいるか、何を伝えたいと考えているか。
そのような意識下の気持ちが言語下で交流します。
人生やセラピーって、始めから予定を組むわけにいかず、行き当たりばったりにならざるを得ないと思います。
もちろん、周到に計画して、準備することも大切です。でも実際にはまわりの状況を見ながら合わせていくしかありませんね。研究会も同様です。
とは言いつつも、多少はあらかじめ仕組まれた構造(枠組み)も必要ですね。今まで私は枠組みを作りきれず、多様な参加者のニーズを予測しきれず、「心の支援者」という何でもアリの広い枠組みでやってきました。でも、すでに始めて1年半、30回にもなろうとしているので、もうそろそろ枠組みも作っていかねばと思います。
でも私、そういうの苦手なんですよね。きっちり決めるのって。
ゆるゆるの臨機応変(行き当たりばったり)でいるのが性に合っています。
でも、それはあくまで私のニーズです。参加する方々のニーズにも、もっと敏感にならねばいけませんね。精進します。
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投稿者: : 2012/09/24 投稿先 研究会の風景

 

タム研第28回(2012.9.7)

まず、参加したAさんのフィードバックです。
今回、改めて自分の現状の課題について話す機会が得られましたが、以前に比べて自分の中で整理された感があり、少し前に進む手応えを感じられました。まだまだ不安定なので、また少しずつ向き合っていけたら、と考えています。
また後半強く印象に残ったのが、中心にいた方のご様子でした。
怒っているようでいて、泣きそうな表情でもあり、笑顔だけれども緊張している。平静なようでいて、何かを頑なに拒むような硬さがある。
なんとなく見ていて、1月時点での自分を拡大鏡で見るような気持ちになりました。
今回は、全体的な話の深さ・浅さを吟味することなど、グループの現状を少し一歩引いて見る機会が持て、大変勉強になりました。

田村からのフィードバックです。
いつもの回とは違い、今回は私自身がグイグイ力技で押したかなという印象です。わりと疲れました。
いつも参加者の話を聴きながら落書きしているフリップチャートにほとんど書けませんでした。
私がつらつら書いているときって、みんなの会話の輪から一歩引いて客観的に眺めていられるときです。今回は会話の中にひきこまれ、客観的なmeta-positionをとることができなませんでした。

普段は割と安心して参加者の流れに任せることができるのですが、今回は違いました。私自身の「不安」が高かったのだと思います。
研究会に参加する動機には三つのレベルがあるのかなと、今回振り返りました。
レベル1)支援のテクニック、ハウツー、知識を求めている場合
レベル2)支援対象に関する理性的理解、あるいは感性的共感を求めている場合
レベル3)支援対象に関する、あるいは支援者自身に関する今まで持っていた前提、枠組みの根底的な変革(自己の認知の変化)を求めている場合

今回は、

レベル3まで達成した人(Aさんもそのひとり)。
レベル2を模索している人。
レベル1に留まっている人。
それ以前の段階で、研究会という場までたどり着けなかった人。

さまざまです。
初めに参加する入口は<レベル1>で良いのだと思います。そこから、レベルを深めていくことが私の研究会に参加する醍醐味かな、それをみなさんに経験してもらいたいなと願っています。
いつもはわりと参加者の力を信頼しているんだけど、今回は何となく心配していました。レベルが深まらず、表層の部分で終わってしまうのではという不安をファシリテータとして持っていたのだと思います。だから参加者に任せず、意図的に深めていこうと、みんなのプロセスに介入していました(後から思えば)。

レベルが深まるには、越えがたいカベがあるように思ってしまいました。一旦、その壁に穴をあけて入り込めば、その先は割と楽、自然に進んだりするけど、そこに入り込むまでが大変。そこまで導いてやるのは私の責任かなと焦っていたと思います。

そのあたりのことを参加したみなさんは気づいていたのかわかりません。気づいていなければそのことを伝えたいし、気づいていれば、そうやって私がじたばたしている姿を観察してもらえたら嬉しいと思います。

さて、これから29回の研究会が始まります。

 
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投稿者: : 2012/09/18 投稿先 研究会の風景

 

タム研第27回へのコメント

田村です。
律さんまとめありがとう。
では、まず参加者からのフィードバック。

★今日の話題が「こころ」という大きなカテゴリーで特別な専門用語についての議論ではなかったので普通に理解できました。
私の参加の動機は心に関するワード(たとえば発達障害など)について参加者の様々な意見を聞いて知識を得たいと思っておりましたので、今日の話題では、なんとなく掴みどころがないように感じました。
初めて研究会に参加してみて感じたことは「穏やかなグループ」ということです。もう少しガンガン議論する場なのかと思っていました(笑)。でも、このような研究会で、私には居心地良かったです。
また帰ってきてから気がついたのは、私自身が今日の研究会で「気分転換」できていたということです。たぶん、それは私が普段受けている研修の内容とメンバーのカラ―も全く違うからでしょう。何か新しいサークルのメンバーになったようで嬉しいです。
今日参加されていた、お一人お一人がそれぞれの分野で深い知識をお持ちと感じました。今後、皆さまの知識やお考えをお話していただけるような機会が欲しいと思いました。そしてお互いが構築した「タム研のネットワーク」が、それぞれの分野で活用されれば良いと思いました。

★グループワークはバランス感覚が大事だと改めて感じた。メンバーによってかなり違う。正直、合わせるのがたいへんな人もいる。

★Sさんの質問は何だったんだろう?その事がちょっとわからなかった。そこを知りたい私のクセ?

★話をさえぎってまで自分の意見を言うというのがあまり得意でないのだなってくのが、ここのところ気づきだなと感じました。あえて思ったことをズバズバいう、と決めていうのも良いのかもな~と思いました。

★「自分を掘り下げる」という当初のニーズを達成するのは、時間的なものもあり難し良かったですが、「心」について自分はどう捉えるのか。そもそも「自分を掘り下げる」ということが自分にとってどういう意味を持つのか、考えることができました。自分の心や頭を、自分の内側に向けて集中して使うことはなかなかできないので、それだけでも有意義な時間となりました。
先生に久しぶりにお会いして、変わってなくて嬉しかったです!
2時間枠だけでなく、もう少し長めの回もあればいいなぁと思いました。

★一生懸命説明しているのに、なぜ相手に理解されないのか行き詰っていましたが、皆様からのご意見を受け入れて、方法を考えてみようと思いました。たくさんの気づきがありました。

☆では、田村からのフィードバックです。
自分を知るとは?
心を掘り下げるとは?

わたし的にはこの部分が今回の一番のテーマでした。
ホントは、あまり説明したくないんですよね。できないというか。
つまり、これはあくまで感性的なプロセスであり、いくら説明したところで理性に還元してしまうと本来の意味が失われてしまうんです。芸術(音楽、美術、文学とか)を解説するのと似ていますね。
と言いつつ敢えて説明しますと、、、
心の支援者にとって必須のトレーニングだと思います。理性のトレーニングは成書を読んだり、講義を聴いたり、知識として会得できます。若い頃の方が知識は吸収しやすいですね。
感性のトレーニングはひとりでは無理です。他者と向き合い、安全な環境(信頼関係、プライバシー、傷つけられない安心感)のもとで感情を言語化します。個人SVでもグループワークでも可能でそれぞれ一長一短ありますが、なかなかそこまで掘り下げることができる機会は少ないですね。この研究会もオープン(メンバーが毎回入れ替わる)で、時間も短い(2時間)ので、ほんの入り口まで。体験ダイビング程度しか深めることができません。
グループにしろ個人SVにしろ、ファシリテータは安全性を確保するために「コントロール」するけど、メンバー(クライエント)はコントロールしないんですよ。それまでキープしていたコントロールの枠組みを外し、ワザと壊れるんです。落ちるとも言うかな。そういう自己崩壊体験が、再生を生みます。
誰でも光と影を持っています。
影とは、自信を奪う否定的な体験。恥・罪・不安・恐怖・悲しみなどの否定的な感情が伴うので他者には伝えず、自身の記憶からも隠ぺいしておくべき体験。立ち入り禁止の地雷原。
光とは、自信を獲得する肯定的な体験。喜び・安心・幸福感などの肯定的な気持ちになるので、いつも意識の表象に留めておくことができる。
心を掘り下げるとは、影の部分を表象に持ってきて、安全な他者が受け止めることです。そのプロセスがうまくいけば、原体験自体は変わらなくても、そこに付与された意味づけがオセロのように黒(影)から白(光)にひっくり返ります。地雷原が安全な場所に変化します。
しかし、そのプロセスに失敗し無理して否定的な感情を表現すると、痛みに圧倒され深く傷つきます。
、、、と、ここまで書き進めてきたものの、どうまとめて良いやら見失ってしまいました。
というわけで、かなり深いし危険なんですよ。素人は手を出さない方が良い。でも、有能な支援者になるための通過儀礼。やはり経験することは大切だと思います。
でも、月例研究会ではそこまでやりませんのでご安心を。(えっ、やってほしい?)

 
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投稿者: : 2012/09/05 投稿先 研究会の風景

 

タム研第27回(2012.8.21)

律@管理の中の人です。遅れ気味のまとめですが書いて行きます。

今回は新規参加者2人+いつもの参加者7人+先生、の10人。2桁は久しぶり。

お題は「心って何?/カウンセリングのイメージ(ケース)」の二本立て。
最近二本立てが多いけれど、まとまりが早いのかもしれない。

◆チェックイン
新規の参加者さんが居るので、いつも居るメンバーは、「この研究会はどういうものか」を説明するパートがありました。久しぶり。
最近、個人的には「この研究会は上手く行ってないんじゃないか?」と思っているのだけど、他の皆はそんなことも言ってなかったから、人によって色々違うんだなあ、と改めて思ったり。

◆トピック1:「心」という表現について
メンバーの「何故、この研究会は、『心の支援者研究会』というのか?『心』も『研究会』も曖昧じゃない?何故『心』なのか『研究会』なのか。他の単語でも良いんじゃない?その選択理由って何なんでしょう?」という話からスタート。

「心(こころ、とも表記)の×××」ってのは巷に多く溢れている。
こころの電話相談、こころのケア、こころの病気、こころの治療…なんかキリが無いね。

「こころの相談」なんて、別に「精神保健福祉相談」とかいう名称の所もある訳で。
「こころの病気」って「精神疾患」のことで、「こころのお医者さん」って「精神科医」のことで。
じゃあ、なんでわざわざそういう言い回しをするのかなという。

「辞書引いてみたら」という声が出て、じゃあ、引いてみようと。

【1】人間の精神活動を知・情・意に分けた時、知を除いた情・意をつかさどる能力。喜怒哀楽・快不快・美醜・善悪などを判断し、その人の人格を決定すると考えられるもの。気持ち。また、その状態。感情。【2】気持ち。また、その状態。感情。【3】思慮分別。判断力。

とか。まあ色々と。

「抽象的じゃないか?」とも。
それて、敢えて抽象的にするのが狙いなのではないか?
こう、仕事の上ではオブラートに包んだ言い方をするじゃない?
別に、包まなくたって本当は良いと思うんだけど、まだ包まないといけないような世の中だし。
「精神保健福祉相談ってのがあるから行ってみたら」よりは「こころの相談ってのがあるから行ってみたら」の方がコアな所をごまかしやすい。

そう、誤魔化しておかないといけない状況ってのがあるんじゃないか。
「こころ」が含んでいる大きな所から、どんどん具体的に掘り下げていっちゃうと、その人の直面しないといけない所が出てきちゃう。そこをいきなり前面に出して相談に行けとか言えないから、おおきく「こころ」って言って促しちゃうんじゃないの?

というような話をして、なんとなくまとまる。
先生が何故そのワードを選んでいるのか、という所に関しては「営業的な側面が…」というような話だった。「研究会」の方は「慣習的に」らしい。あんまり回答にはなってないな。まあ、そんな深い意味はないってことなんだろうか。

◆トピック1の派生:自分の心を掘り下げること
話していくうちに「自分の心を掘り下げると良い支援者になれるのか?」という問いが。
「そりゃそうよ!」という返答もあるし、「どうなんだろう」という返答もある。

心を掘り下げるってのは抽象的だな。それってどういうことなんだろう?
「自分を知ることでは?」という意見も。それもでも、まだ抽象的だよね。

…と、先生が「それは自分の感情を体験をすること」と。
「体験される感情は不安感/恐怖感のどちらかに集約する」と。
それを知ると、自分の輪郭がわかるから、足場が広くなるらしい。
それがわからないと、クライエントの同じような不安感/恐怖感に付き合えない、と。

◆トピック1の派生:グループと1対1の効果
じゃあ、掘り下げるにはグループと1対1とどうなんだ、という話に展開。

「自分のことを知りたいからグループに」という話があって。
そこで、じゃあ「ここでいきなり解体ショーされても大丈夫なの?」と返してみた。
グループはそういう危なさがあるというか。
エンカウンターみたいな期間限定クローズならともかく、ここは半クローズだし。
まあ、先生がいるから解体ショーになんてならないと思うけど。でも、先生がOKしたりしくじったら解体ショーになっちゃうね。

以下は私見(これは研究会中にも喋った話)。
深度を下げるなら1対1のSVの方が良いような気もする。
蓋を開けたらヤバいモノもあるだろうし、グループでやっちゃった時、自分でも見たことないモノが出て来た時に、「ああ、これは人に見られたくなかった」と思ったらもうそこには居られないと思うし。
勿論、そんな蓋開けてヤバいようなものを持ってない割としあわせな人も居る(これは後述)。

でも、おそらく、標準的なSVというのはケースがメインなのでそんなに深く掘り下げない。
となると、セラピーと言うか、教育分析的なSVなどを使うと良いのかもしれない。
田村先生のSVは割と折衷だと思う(良し悪しは置いておいて)。

グループは逆に深度は出す側とファシリテータがある程度コントロールしてないといけない。何故ならばメンバーは皆、好き勝手に思うことを言うから。それをぶつけて相手が壊れるかもとかあまり気にしない(気にする場合もあるが、そこは関係性にもよる)。エンパワメントするような場面(肯定的フィードバック)では1対1よりも効果的と思う。1対1での肯定的フィードバックとはどことなくやらせっぽいが(敢えてやってる感が丸出しになる時がある)、グループではそこまで個人に配慮されていないが故にその発言は本当だと思えるからだと思う。

1対1では、深度をかなり深い所まで持って行ける。発言は好き勝手出来る(1対1だから)。
グループでは、深度はその場の動きによる。発言はバランス感を養える(いつでも好き勝手では難しい)。

…というところかもなー、と。
私はグループというものが苦手なのでそのように思う。でもグループで大分鍛えられたとも思う。
話すだけなら1対1の方が楽だし。でも、グループのダイナミクスが上手く動けば1対1よりも得られるものが多いこともよくわかるので、まあ両方やったらいいんじゃないのか、とか。

先生の話→誰でも心には光と影の部分があって。その比率によっては、影の部分が少ない人も居て、そういう人は自分の影の部分をみないまま一生を終えることも可能。影の部分が多い人は、結局の所常にそこを見つめて、取り扱いを学ばないといけない。でも、よくよく考えてみると、影の部分が少ない人はこの仕事を選ばないと思うよ。だから、支援者の人は影の部分が多いんじゃないのかな。

◆トピック2:カウンセリングのイメージ
ケースなので内容は省略。
カウンセリングのイメージ=人生の汚点というイメージについて。

これはありそうだなあ、と。限られた層のような気もするけど。
仕事で相談などをしていると、こういう仕事の人は何も誰にも相談しないと思われているらしいし(SVの話とかするとクライエントはびっくりする)。
なんでも自分で解決できないとダメって言う文化があるのかもしれない。
後は、心理的な不調にあまりにもネガなイメージがあり過ぎると思う。

そういうのを払拭して行くには地道な普及と言うか、少なくとも何をどうするのかとか丁寧に説明して行くぐらいしかやりようがないのかも。

◆まとめ(感想)
今回は大人数だったので疲れたような気がする。先生はまたサボっていた(と思う)。
私はあまり率先して自分の心なんて掘り下げたくなかったな。仕事上必要に迫られてやってるだけで。だから、職業選択をこの職業にしなかったらそういう痛いプロセスなんて何度も何度もやらずに済むんだよな、と思っている(実際、何度もやりすぎて生傷だらけだし)。でも、この職業以外の選択はあり得なかったので、必要なことと思ってやってるけど。そういうプロセスに付き合ってくれる指導者を選ぶということはとても慎重にやった方が良いと思うし、語る内容もそうだと思う。とても大切なことだからこそ、条件を満たした場、満たした人に語るべきなのだと思う。

今回もお疲れ様でした。

 
 

タム研第26回へのコメント

田村です。
みなさんお疲れさま。まず、参加者からのコメントです。

Xさん
ひっかかってりう問題はやはり自分の中でクリアになっていない事が出てくることに気づきました。

Yさん
前半はなかなか議論についていけず、聞き役を通していたなと振り返ってみて思いました。一方で、そのポジションだからこそ、見える部分もあるのかなと思いました。
後半のグループワークについては、ぜひ本を出してほしいなと思いました。

Zさん
昨日のグループは、穏やかな時間が流れているような感じを受けていました。サロンにいるような、うたた寝でまどろんでいるような、そんな心地よいゆったりとした時間でした。とてもリラックスできました。贅沢な時間でした。
前半の発達障害でいい損ねたので、追記します。昨日の場で話したように、自分は相談の状況によって「発達障害が、風邪などの病気のように完治するということは現代の医学では難しい」という話をします。しかし、その後に(ここからを言いそびれた)、周囲の関わりや本人の自分の特性理解によって、当人がコントロールすることが可能なことも出てくるという話をします。糖尿病などの慢性疾患のように、共存が可能であるという話をします。
昨日は、治療が可能か不可能かの話に焦点があっていたように自分には見えていたので、このような視点ももっていたということが伝われば良いかなと思います。
もう1つ印象に残っていることがあります。久しぶりにお会いしたYさんが発言の際に言葉を丁寧に選んでいる様子から、しっかりと地に根をはる太い樹を連想しました。そう思うと、自分は雲のようなフワフワとした軽い存在で対称的だなと感じました。もっている特徴の違いなんでしょうが、自分の特徴を理解して臨床に活かしていければと思いました。

では私のコメントです。

研究会に臨むモード
みなさん、
・リラックスモード
・地に根をはるしっかりモード
・雲のようなフワフワモード
・うたた寝まどろみモード
などなどいろんな表現してますけど、私の「楽チン・夏休みモード」を説明します。
1)緊張 vs. リラックス
緊張とは交感神経優位の戦闘状態。一生懸命状態。敵の動きに敏感になり情報を集めます。相手に集中するので視野狭窄的になります。
リラックスとは副交感神経優位状態。安心感に満ちて落ち着いています。ひとつの対象に集中せずまわりに視野を広げ、下手すると注意散漫状態になります。
オリンピック選手とか最大限のパフォーマンスを上げるためには緊張モードが必要ですね。でも、勝った喜び(負けた悔しさ)を味わうためにはリラックスモードが必要なんでしょう。緊張しているときは喜んだり悲しんだりしていられませんから。結局、人生を楽しむためにはリラックスモードが必要なんでしょうね。緊張モードそれ自体が目的なのではなく、達成した後の喜び(動物が獲物をしとめたり、勝負に勝ったり)を味わうのが目的ですよね。卓球の愛ちゃんの掛け声などは、「やった~!」と一瞬喜びモードになって、即また気合(緊張)を入れ直すポーズなのでは。
研究会に初めて参加した時やホットスポットに座った時は緊張モードになりますね。スポーツ選手も、危機感・不安とともにやってくるクライエントも。
それを受ける研究会のファシリテータやゲームの審判、セラピストなんかはリラックスモードで幅広く情報を集中する必要があると思います。

2)現実モード vs. あっちの世界モード
私、研究会で時々空想モードに入っちゃうんですよ。そう頻繁ではないけど、参加者の発言をきっかけに空想に入ってしまいます。うまくすればそこから新しいアイデアや発想が見えてきて、みなさんに還元するのだけど、その間考え込んでみんなの話が上の空になります。ファシリテータとしてはまずいですよね。

私は研究会ではリラックスモードで、なお且つ現実モードでいたいと思います。
「楽チン・夏休みモード」というのもその辺りをねらっているのですが。まずファシリテータ自身が楽しむことが大切ですね。それでいてみんなの話を聴ける状態。例えれば、面白い寄席か漫才を聴いている状態みたいな感じかな。ムードメーカーとしてのファシリテータ(セラピスト)の位置が大切ですね。

◆トピック1:発達障害について
「発達障害」についてはどうでも良い、、、というかホントは良くないのですが別の時にコメントするとして、今回言いたいことは不安の伝達ということについて。
不安の原因は種々さまざまです。でも結果的にそれが伝達されていきます。
パニック=急激に盛り上がる不安発作。
ふつうの不安=ふだんから慢性的に感じている不安。
いずれにせよ、子どもが不安⇒家族が不安⇒支援者が不安⇒研究会(SV)が不安
という具合です。
どこかでその不安を脱構築しなくてはね。そんな視点からみんなの様子を眺めていました。
不安は否認したりガマンしてはいけません。十分に解放してあげないと。

◆トピック2:グループ展開のスキルについて
このあたりは私の得意な(というか楽しんでいる)部分なのでいろいろ言いたいことはたくさんあります。本を書けるくらいというのはそういう意味で、実際には書けないでしょうね。せいぜいこのブログで展開するくらいです。
研究会では私がしゃべろうとしたらみんながどんどん入ってくれたので私は最後に律さんがまとめてくれたようなことを話すだけでした。私がしゃべらなくてもみんなちゃんとわかっているじゃない!!さすがですね(笑)。
ひとつ付け加えるとすれば、語りを上塗りしていくというメタ・トークなんですよ、研究会もセラピーも。研究会メンバー(クライエント)のたくさんの語り(すごい情報量)の中からファシリテータ(セラピスト)が恣意的に言葉をピックアップしていきます。それを話し言葉で応答したり、研究会ではボードとこのブログを使って書き言葉で可視化します。ボードを見て、みんなの語りも変化していくでしょ!?そうやってファシリテータは正解やアドバイスを伝えなくても、共有された語りはどんどん変化していきます。
あとは、前半の話の繰り返しになるけどファシリテータがどれほどリラックスして視野をワイド・オープンにしてたくさんの情報を流れに沿ってうまく拾ってゆけるかということでしょうね。ファシリテーションは「必死に緊張がんばりモード」ではうまくできないと思います。このあたりの基盤がしっかりできていないと、さまざまな方法論を学んで、テクニックを駆使しても結局はうまくいきません。

 
 

タム研第26回(2012.8.3)

律@管理の中の人です。さてさて、引き続き第26回分。こっちはまだホットだよ。

第26回は、新規参加者無しの6人+先生の計7人。
お題は「発達障害について(ケース)/グループ展開のスキル」の二本立て。
第25回、第26回と二回続きで、二本立てトピック。これはこれでサックリしていて面白い。

ブレインストーミングは無しのスピード展開でスタート。慣れた参加者が多いと展開が早いよね。この回は荒れなかったし、先生は楽チンモードだったんじゃないの?(頭の中夏休みって言ってたし)

◆トピック1:発達障害について
ケースは省略(ケースとしての話でもない)。
ざっくり発達障害の子を持つ家族への対応、というテーマ。
というよりも、発達障害とはなんぞや?みたいな大きなところ。

これって、一言でも語れない話なんだよね。千差万別だし…。

発達障害は色々と病名の差はあるものの(PDD、ADHD、AS、LD等々…)、だからと言って対応が決まっているかといえばそうでもない所がある。
薬物療法は殆ど衝動性のコントロール目的だし、それで治るという類の話ではない。
どこがどのぐらい不得手なのか、という所で生活の難しさは異なる。
三つ組の障害(対人関係の特異性、コミュニケーションの障害、こだわりと想像力の障害)も、あると言えばあるんだけど、それも程度問題であって…と。

考え方としては発達障害である/発達障害でない、という二元論でもなく、スペクトラム的な(線上に点在するという感じ)あり方なのであって…。

…みたいな話は専門書でも読んだら載ってるじゃん!ということで。
皆専門職なんだから、そういう話ではないんだよねという所で。

★基本的な対応(家族に対して)
どういう時に本人がパニックになるのか??
→状況を集めて整理する
→その状況にならないように環境調整する(個別の工夫が必要)
パニックを起こさないような上手く行った時はどういう時か?
→状況を集めて整理する。
→その状況を出来るだけ作りだす(SFA的な考え方)

★親の対応スキルを見極める

夢のような解決を図る支援なんて無い。地道に状況を分析することが大事。
★支援者の在り方は、その悩ましい状況や工夫を考えることに沿うことでは?

★支援としては、状況によっては発達障害向けの治療プログラム、福祉サービス(障害者手帳、障害福祉サービスなどなど)使えるかも。民間でも自費のサポート校(塾のようなもの)や療育サービスなどもあるよ。

先生のお言葉「えー。別に発達障害だから、という観点では見ないよ。全体で見る」
あれ、これ第25回でも似たようなこと言ってたよね。

まあそうだよね。支援とは別に病名で支援する訳じゃないからな。
病名がつくことで、疾患の特性とかはそれなり踏まえないといけないけど、それだけで上手く行く訳じゃないのである。生活の不具合は他の要素も絡むし。

的な話を…していると。

トピック主:「もう十分、色々わかって…ちょっと訊きたかっただけだから良いんですよ。発達障害は治らないっていう所でどういう所でやってけばいいのかな、と思って……」
皆:「ん?あれ?『発達障害は治らない』の???」
トピック主:「え、だってそうでしょ…?そういう所で上手く付き合っていかないといけなくて」
メンバー:「なんかそういう言い方、珍しくない?普段そういうような『×××は治らない』みたいな言い方しないじゃん?なんでこれだけそんな…」
トピック主:「それは、(トピック主の個人的な所での話が展開)」
私:「じゃあ、トピック主さんの当事者性が刺激されたってこと??」
トピック主:「そうかも。でも、もうこの話はいいですよ。ちょっと訊きたかっただけだから…ホントに。もう次の話をしましょ?」

……。
すると先生が、「『ちょっと』、って言うのは、ちょっとじゃないよ。『ちょっとだけしか出したくない。これ以上は出したくない』という意味だし(ニヤニヤ)」

あぁ、なるほど。
という所で、このままトピック主さんの当事者性の話に展開するかと思ったけどそこは展開せず(展開しないというトピック主さんの意思表示があったのでその話はそこでおしまい)。

『ちょっと』の他には『わからない』がつつきどころという話。
『わからない』は『わからないということにしておきたい』である、と。

クライエントが『わからない』と言うような所はとても怪しい、という話(それをそこでつつくかどうかの判断はまた別のスキルが必要)。

◆トピック2:グループ展開のスキルについて
トピック主2さんの話。「先生はここのグループのファシリテートで何を気を付けているのか?」
この話の背景には、トピック主2さんが自分でグループファシリテーターやった時の体験から来ているということで。グループで落ちて行く人のフォローとか、トピックがあらぬ方向に行ってしまった時どうするのか?治療のグループとの違いは?メンバーがマシンガントークしたらどうするのか?会話の流れとかどう見てるの?特定のメンバーにぐっと入り込んだり、メンバーの発言をブロックしたり…色々やってるようだけど?

そして、各々グループでの先生はどうなのか?という話に(この時点では先生は何も喋ってない。皆であーでもないこーでもない、いやこれはこうだ…みたいな話をしている)

私:「グループ中のことは、私が後でブログにアップしているけど、そこで先生がこうしていたああしていたと書いている時があって、そこでは私が『こうしてるけど×××なんじゃないか』とか推測で書いてることがある。でも、後から先生がコメントつけると、『そこではこういうこと考えてた』的なコメントがつくことがあり、そこで『ああ、あの時はああいうこと考えてたのか…』と思う時があるよ」

私:「後は、第24回でQさんが『先生の研究会ではない、別のグループに出たけど、そこでは先生がガンガン動いていて、それが気になって気になって集中できない…』と言っていたし、治療寄りグループと研究会では全然違うのでは?でも、ガンガン入るってどんな感じだろうねえ」

メンバーA:「新規の人が来ると先生はそこに注意を払うし、新規の人にいつ話を振るかというところはチェックしている。必ず新規の人が喋る場を作るけど、タイミングはバラバラだし。研究会は2時間しかないし、必ず時間内にはまとめないといけない訳で、そうなるとまとめやチェックアウトのタイミングとか、たとえ話とか、トピック主へのねぎらいとかユーモアとか…ちゃんと終われるように動いているような。ボードに書くのもそれを書くことでグループの流れがわかりやすくて、それを見ていて『あっ』と思うこともある」

私:「でも、先生がボード書いていることは全てじゃないよね。勿論私がまとめてる視点とも違うし…記憶した範囲で振り返れば、先生はかなり恣意的にワードを絞っている。拾う所と捨てる所がハッキリしている。恣意的では」

メンバーB:「もしかして、ボードに書くことでグループのトピックのドライブをしているのでは?」

メンバーC:「グループの目的と言うか、到達点とか…どうやってドライブするのか?ひとつの目的を得ると言うよりも、みんな思い思いのテーマを出していると思う。ひとつのテーマで話していても皆得ているものはそれぞれ異なるような気がする」

トピック主2:「研究会みたいな所では話題が流れて行ってもそれに乗れば良いけど、治療じゃそれじゃマズイよね…」

私:「治療グループは、グループ構築の時にグループ目的と、グループメンバーを選定するから、ファシリテーターの負担は軽いし、習熟度がそんなに高くなくてもドライブは可能じゃない?こういう半クローズのグループで、その日にならないと誰が居るかわからない、テーマも判らない状態でドライブするのって割とファシリテーターの負担は大きいんじゃないの?」

メンバーD:「構造的にするか、エンカウンターみたいに非構造的にやるかでも違うと思う」

…などなど。結局先生は質問されてるんだけど喋らない(というか皆で盛り上がっているため先生が入って来ない)。

◆先生の話
★構造的グループ、非構造的グループとあるけど、研究会は非構造的寄りでやっている。構造的にしても面白いかもしれないけど。
★新規の人にはかなり気を配っているよ。
★治療寄りグループではかなり積極的に動く、話を振って、話題も出して、フォローもして…という感じ。研究会ではあまりやらない。
★第24回の研究会は結構ハラハラしていた。新規の人がスポットに座っちゃったから。皆おかまいなしにガンガン言うでしょ、ああいう時は結構ヒヤヒヤする。
★第22回の時(私がブチ切れていた回)は、僕は席を動いたりしたでしょ?ああいうふうに場の空気を変えたりすることもある。
★一応、皆に過度のダメージが残らないようには気を遣っている。

★グループを見る点ではミクロの視点(各メンバーの動き)、マクロの視点(グループの動き)を持つ訓練なんかをする。(グループに入ったり、グループの外から観察したりするらしい)。当たり障りない動きをするよりは、一回グループにグッと接近する(ニアミスする)と、メンバーは「お?なんだなんだ?」となり、印象づく。そういうのは一回ぐらいでいい。

という…。「語りだすと本が一冊書ける」ぐらいのネタがあるらしい。
この日はこれぐらい。

でもさー、私は結構ダメージ喰らって帰ったりする回の方が多いけどな。
そのへんのフォローは私には無いよね、と思っているよ。
あまりに崩れたりするのでSVに持ち込んだりするし。
…まあ、グループ内で誰のフォローアップを優先するのかということもおそらく流れによって決まっているのだろうね。

そんな感じの二本立て。
先生はあまり喋ってなかった。そういう流れだったのだろう。
その辺がもう少し可視化されたらいいと思うんだけどね。
ビデオとかに撮って、「この時はこういうこと考えてます」みたいな実況を一回やってくれたらすごくわかりやすいんだけどなー。
そういうアクションは、もしかしたらクローズグループだとやれるのかもしれないよね。

ということで、皆さんありがとう&お疲れ様でした。
私は途中で中座して帰っちゃったのでその後の話を補足して下さいな。

 
 

タム研第25回(2012.7.17)

律@管理の中の人です。折からの体調不良によって2回分も投稿が溜まってしまったので、ひとまず第一弾!

第25回は、新規参加者無しの3人+先生の計4人。少人数で淡々と。
お題は「ラベル貼りの是非/当事者系支援組織の立ち位置」の二本立て。

◆ブレインストーミングの時間
今回はメンバーのひとりがお題を持って来たので、それを扱うということであっさり展開。
「専門家の皆さん(お題を持って来た人は当事者の支援者)の視点を…!」みたいな。
でも、そのメンバーさんも支援者なので専門家の視点という訳でもない。
強いて言えば専門としている領域が違うだけであって、そこは上下も無いと思うのですよ。というところでスタート。

◆トピック1:ラベル貼りの是非
ケース詳細は省略。
概要としては、そこの場の利用者さんに、外部から来た心理療法士の人が「この人は発達障害かもしれないから精神科に受診して診断してもらったら?」と利用者の家族に言ってしまった、と。それによって家族が不安になってしまって…職員としてどうするか?という所。本人にそのこと言うの?それとも、そのままにして家族のフォロー?

で、細かい状況を聴いてみるんだけど、その人ホントに発達障害…なの???という感じ。
というか、その人は別に日常生活は困ってないような感じがする…。
いやいや、自分は医師でもないし、そんなのわかんないんだけど、少なくともその人はそのことでは困っていないと思うし。別に受診して治療もしている(そこでの病名は発達障害ではない)。仕事もしているし、仲間もいるし、相談相手(トピック主さん)もいるし……。

私「じゃあ、なんでその心理療法士はそんなこと言ったんだろう?何か意味あるんかな」
トピック主「…そうなんですよね」
私「この人、その病名ついたら何か良いことあるんだろうか」
トピック主「そうそう。それって、どうなんですかそういう病名がつくと得られる何か特別なサービスがあるんでしょうか?」

…そんなの無いよ?
ごく平均的な、精神保健福祉の範囲のサービスぐらいしか。
心理はどうなんだ?
メンバー「…いや、心理も特別なモノは…無いと思うけど」

そりゃ、巷には発達障害向けのプログラムとかあるんだろうけど、その人別にそれ必要無さそう。だって、困ってないと思うし。

私「その人って何に困ってるとかあるんだろうか?」
トピック主「ここは、上手く行かないことが会った時に愚痴を吐きに来るような感じ」
私「じゃあ、別にその人の中では上手く成り立っている訳ですよね?」
トピック主「そうそう。別にこっちも病名で支援とかじゃなくてその人全体でみてるし」
私「ああ、じゃあ、別に、結論出てるじゃない。あなたの考え方で大丈夫かどうか、でしょ?」
トピック主「ああ、そうかもしれない。別に本人にはその話を伝えないで、家族にはフォローするっていう結論。ここで話してそれで良いって思えたからそれでいいのかな、と(笑)」

おお、じゃあ、これはケースから支援者の不安という話に展開したのね。
専門家(この場合心理療法士)と意見がぶつかると確かに不安かもしれない。
そういうことは、資格ホルダー同士でもチーム支援したりするとよくある。
相手の方が経験年数が上だったりすると超言いづらい。医師相手だと更に言いづらい…とか。

今回の話は、その当該の心理療法士の狙いが何だかわかんないから何とも言えないけど、まあ、そういうラベル貼りたい病の人なのかもしれない。
そういう人はあちこちにたくさんいる。それは支援者でも、クライエントでもどちらでも起きる。
ラベル(発達障害、ボーダーライン、機能不全家族、AC等々…)貼ると、物凄く楽なんだよね。説明を省けるし、モヤモヤしたものも面倒なものも、そのラベルに集約される。困りごとはそのラベルで扱う「この人は×××だから」とか言ってしまう訳。

そりゃサボりだよ。
自分の言葉で語ることを放棄しちゃうし、思考停止するし。
病名は同じだって置かれた状況も困りごとも全然違うし。
でも、よく居ると思う。支援者の方が多いんじゃないかなあ。そういう人。
ラベルも短期間なら良い時もあるけど、逆にラベルに支配されて、ラベルのような人に変容していく場合もある。負のラベルであればあるだけ、その人は負の力を帯びる。
いつのまにかそのラベルが剥がせなくて大変…!みたいなことに。
だから、ラベル貼るってことは凄く慎重になった方が良いんだと思うんだよね。

このパートでの先生のお言葉:「僕はー……あんまりそういうの考えない(笑)」
まあ、先生はそういう診療スタイルで良いからでしょう。
薬物療法が必須の病気だけスクリーニングしてリファーすれば、あとはあまり病名関係ないもんね。

◆トピック2:当事者系支援組織の立ち位置
次の話。
当事者系の支援組織のポジションとはどうあるといいか?

当事者系とざっくり言ってもいろいろあるね。
集まるだけで自助G的な自分達の支援のみだったりする場合、他者の相談支援をする場合。
家族の集まりから出来る場合、当事者の集まりから出来る場合、その両方。

ひきこもりの家族が組織を作って、ひきこもりの家族を支援する、
ひきこもりの当事者が組織を作って、ひきこもりの当事者を支援する、とか。

・仲間的関わり
・専門的関わり の二つ(先生がそうボードに書いていたので)。

福祉屋の用語で言うとフォーマルサービス/インフォーマルサービス、みたいな感じかな。
その準拠枠で考えさせてもらおう。

フォーマルサービス…行政、民間などの金銭的対価を払ってゲットするサービス
インフォーマルサービス…家族、友人などのつながり系サービス

フォーマルサービスは残酷なまでに公平で、障害の程度、お金の有無、なんかでゲットできる量が決まっています。でも、対価さえ払えば誰でも入手できる。ただし、サービス外の小回りは利きません。利用時間外に利用しようとしても不可能です。

インフォーマルサービスは、その関係が維持されていればどこまでも無理が効きます。ただし、つながりが切れれば全くゼロになるし、最初からこの資源を持っていない人はどうやってもゲットできません。

当事者系の支援組織とはおそらくこの二者の側面を持っていて丁度真ん中のような立ち位置かもしれない。家族とも友人とも違うけど、ある程度の当事者性を共有しているし、サービスも小回りが利く。行政や医療の隙間を埋めることは出来る。
(行政のサービスは利用条件があるのでそこから漏れた人は使えない)

弱点としては、トラブルが起きた時どうにもできなくなる可能性が高いことと、当事者性のコントロールについて(皆が同じ当事者性を帯びているため、一撃で全員が崩れる可能性がある)。信頼性の担保。支援者側の負荷の高さ(サービスの小回りが良い=支援者の負担が大きい)のあたりなんだろうか。

行政の福祉サービスとこういった民間の支援組織(法律に規定されていない所)の連携は割と手厚くなるとは思うんだけど、行政の性質としては、法律に規定されていない民間組織とは繋がれない(紹介もあっせんもできない)のであって、歯がゆい所。なので、そう言った組織にはせめてNPO法人とか、社会福祉法人とかいった法人格が必要ではある。後は外部の風を沢山居れたりすることが大事だったり(これは組織運営の話だけど)。
がんばると、準公的組織ぐらいの扱いにはなれる。

みたいなことを話していきました。

◆まとめ
今日はまったり。研究会出るようになって、行政が感知しない民間の支援組織の人とよく出会うようになったので、ああ色々あるんだなあ、こういうのはいいなあ、ということを知りつつ。でも、きっと自分が行政の中の人として振る舞う時は、例えば、組織の人が営業に来た時なんかは結構冷たい対応するんだろうなとか思ったり。立場の問題とはとても難しいと思う。行政の公平性って言うのは、一般的に言う公平性とはニュアンスが違うのであり、特定のモノを取り上げたりは出来ず、その結果利用者主体にならないという所がある。でも、誰にとっても公平ということは誰にとっても毒にも薬にもならないということなのかもしれなくて、難しいなあと。そんなことを思いました。